2006.11.30 Thu
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日本〜はぢのへの里帰りのさいおちぇも帰ってたんだけど〜毎年時期をあわせて帰ってる?私達ですが〜秋ははちのへも
とっても過ごしやすい時期&食べ物が美味い。 で、、おちぇ宅のお母さんにも会う機会は自然にあるわけでね。おちえ宅のお母さんは、キルトが趣味??得意で、素敵な物をもってるわけね。で趣味がいいんだよね。 なんか和なんだよね。 で、、いいなぁ〜と言ってしまった私です。で、そんな素敵なものいただいちゃいました。 ![]() とってもいいよねぇ〜催促したわけじゃないですよ。(≡^∇^≡)ニャハハ でも大事に使わせていただきます。 もう一つfuu宅のおかんは、布ぞうりを編む事作ることにはまってるらしいです。で、私と痔霧もいただきました。http://fuuhp.blog36.fc2.com/blog-entry-5.html ![]() この布ぞうりなかなか履き心地がいいですよ。 日本から帰ってくる前に東京見物もしてきたんだけど〜 偶然入ったお店でこの布ぞうり売ってました。価格は1セット2000円だったよ。 このお店で買ったのは、、猫招きがついたシャツなんだけどね。 http://web.mac.com/reinyumi/iWeb/reinyumi/10.html 自分は、、母親が亡くなってしまったわけだけど〜こうやって友達のお母さんからいろいろしてもらうととってもなんともいえない嬉しさがこみ上げてきます。 おちぇには、何回か言ってたけどお母さんちょっとレンタルして〜ってね。ヾ(>▽<)oきゃはははっ! ほんとにレンタルできる日がくるかもね。ね? |
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2005.12.03 Sat
2005.10.21 Fri
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10月13日に朝ブログをアップしてから病院にいき
一般病棟の母親と会いましたが〜 この日の午後1時56分亡くなってしまいました。 兄と姉と私あとおばと姉の旦那にその息子で、立ち会うことができました。最後はほとんど反応がなくやっと息をしてるようで”お母さん”って呼ぶと目が動いてみてるようでした。 最後は、ゆっくりと安らかに眠るようにいってしまいました。 ペースメーカーをいれてるので、亡くなっても脈が動いてるようでまだいきてるんじゃないか?と奇跡はおきないか?と思ってしまいました。 この日のうちの午後家につれて帰れて いつも寝てる母の部屋で母の布団に眠らせました。とっても呼んだら置きそうなくらい普通にそこにねてましたよ。 葬儀屋さんがなにもかも準備してくれてその日の内におじおばに連絡したら〜近くの人はその日の内にぞくぞくとやってきました。そんなものなんですね? 甥っ子の俊ちゃんと姪っ子の友希は、はじめお線香を笑いながらあげてました。で、、10分もしないうちにおばあちゃんが、、もう起き上がらないってことを知って号泣してました。なくなったってわかってなかったらしいです。 13日の夜中には痔霧に連絡がとれてなんかわかったようなことを言ってました。というのは、母親がなくなったこの日変な音がしたり猫の置物がパタパタ落ちたりしたらしいです。なくなってすぐ痔霧に会いにいったのかも?しれないね。痔霧は、15日の夜に八戸にまたやってきましたよ。 ビールには2週間しかいなかったのね。 お線香とろうそくをたやすことができないので母親の部屋でみんなでねてたんだけど〜14日目の朝 近くにすむ叔父が午前3時にやってきました。 私たちは、ものすごいびっくりしたんだけど〜理由を聞いたら母が叔父を呼びにいったらしいです。で呼ばれたからやってきたっていってました。 1時間くらいで叔父は帰っていったんだけど〜そのあとまたガチャガチャと玄関で音がしたらしいけど〜私には聞こえなかった。姉が玄関開けてる間私は、、トイレの方で音をきいたので、、叔母もとまってるので叔母がトイレにたった音じゃないの?といったら叔母は母の部屋でぐっすりねてましたよ。 母は、なくなってからいろんなとこを回ってかえってきたのかもしれないね?と姉と納得したんだけど〜こんなことってあるんだね。びっくりでした。 17日が火葬で18日がお葬式でした。 火葬の時はこれまで思いっきりなきすぎたくらいないたので〜もう涙はでないとおもってたのに〜火葬ってのは、やっぱりいやでもう母の姿が見れなくなると思ったらだめでした。号泣です。兄も姉も 痔霧は、初めての経験でこの火葬ってことだけでもびっくりしてたのと大好きな母親のことだったので痔霧もだめだったね。 でもお葬式までおえると今までなくなった母親を近くでみていてもなくなったことを信じることがどうしてもできなかったけど〜お葬式って大切なんだなと亡くなった人にもくようだけど、、生きてる私たち遺族にも理解させる行事だなと、、いやだけどお別れしなければならないし、、ってどんどん進んでいくことをやりながら理解していくって感じでした。 父も35年前に亡くなってるんだけど〜普通お骨は墓の中にまくらしいけど父のお骨は、骨壷はいったままでした。それも骨壷のふたがわれてました。これを和尚さんに相談したら〜お骨は土に帰してやるものなので35年前になぜ骨壷に入れたままにしてお墓にいれたのかわからないけど〜母のお骨をまくときに父のも先にまきましょうということいなってなぜか同じ日に一緒にお墓の中にまかれました。父は、母を待ってたのかもしれないね。なんか不思議なはなしなんだけどね。 父のお骨は骨壷から出してくれっていうようなかんじで大きくなって出てきたようでした。昔は、この骨壷にちゃんとおさまってたはずだから〜父のお骨をまいたときには〜骨壷のなかは、、やっぱり骨だけだったからね。 でもとっても不思議でしょ?けど父は、母がくるのをものすごく待ってたようなきがします。 全部終わって、、昨日から姉たちが泊まりにきてますが〜みんなでこうやってあつまることもあまりないからと写真を全員でとったら〜母親が座ってた場所ににきれいな発光体がうつりました。 49日までは、家にいるっていうけど〜ほんとにいるんだね?ととってもうれしい気分になりました。 母は、今まで病気と闘って最後は、安らかだったので〜もう楽になれてよかったのかもしれません。私は、まだまだ生きていてほしかったけどね。 飾った母はものすごくきれいでした。77歳数えで78歳だけどしわものくとってもきれいな最後でした。 みなさんいろいろはげましありがとうございました。 26日には、ビールに帰る予定です。 ビールに帰ってからも皆さんよろしくおねがいします。 ![]() |
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2005.10.13 Thu
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昨日の朝透析は無事終了しました。
午後になり 先生の話によると 一応ちょっとの水をのこして水はとれたのだけど〜 様態はかんばしくない。 透析中の方が血圧が高かったんだけど〜透析やめたとたん血圧がひくいらしいです。 普通はこの反対らしいんだけどね。 で、、尿のほうもやっぱり出が悪く夕方の時点で尿がでてなくてまた利尿剤を使う予定らしい。 それでもだめだともう一回透析っていっても結果は、おなじじゃないか?って話で、、手のうちようがないらしい。 このままの治療で回復してもらうことをまつしかない。 みたいで〜これからいい方向に進んでくれるといいんだけど〜 このままの状態だともっても2,3週間ってまたいわれました。 透析を終えたので今日あたりまたICUから一般病棟へ移れるはずなんだけどね。 もうひとつは、肺炎も透析やる前からおこしてるらしく〜 これだけでもよくなってくれれば〜と願ってます。 ![]() |
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2005.10.09 Sun
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今日の午後の4時じてんで24時間終了したんだけど〜先生と会って話したら2、3日は続けて透析するらしいです。
3日間ってすごいながいよね〜でも身体の機能が復活するまでやらなければならないらしい。そうしないと透析やってる意味がないみたいです。 今日は二日目に突入したわけだけど〜透析やり始めるまえの母親とくらべて〜口数がおおくなってきました。調子がいいのかな?? 透析はじめるまえは、何を聞いても”うん”しかいわなかったので〜話がまたできるようになったのは、とっても安心しました。 けど、、まだまだこの状態です。 順調に行くといいなぁ〜とものすごく祈ってます。 透析はとりあえず順調です。 透析の機械ってはじめてみたけど、、血液からいらない水分をろ過して出してくれてるのをまじかでみて〜人間ってものすごいものをつくりだしたんだね?と思ってしまった。でも人間の腎臓ってばその機械よりも優れものなのねぇ〜と思ったりなんかして〜 透析の機械も昔よくTVドラマとかでみたものよりは、ものすごく小さくなってコンパクトでしたよ。 明日もまだまだ透析ですが〜うまくいきますように ![]() |
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2005.10.09 Sun
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今日は病院に行ったら母親の反応が鈍く、何を話しても相槌しかうちません。ほとんど目もはんびらきで〜そんな姿みたら涙がでてきました。
力がどんどんなくなってきてるのが、目に見えてかんじられます。 午前中に先生からの話があって 2.3日待つまでもなく〜状態がものすごくわるくなってるので、今週末もつかどうかっていわれました。 これからの治療は 人工透析は、やると体力がもつかどうかってとこで亡くなるのを早めるだけかもしれないって話と もうひとつは、胸の苦しみをとるためにモルヒネをつかって今までの治療で苦しみを与えずに死をまつか?っていわれました。モルヒネのほうは、安楽死に近い話でした。 どちらかをえらばなければならなくて〜 兄と姉と相談した結果 母は、生きたいって気持ちがあるひとなので、最後まで戦ってもらうことにしました。 なので人工透析を24時間かけてがんばってもらうことにしました。 そうきめたら処置は、はやくて今日の4時ぐらいから透析がはじまりました。今は集中治療室で母は、がんばってますよ。 病院には、付き添うことができないので〜また明日の朝に会いにいってきます。 夕方6時ごろ母親にあったときは、順調に透析が進んでました。 このままじゅんちょうにね〜と祈るばかりです。 ![]() |
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2005.10.08 Sat
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昨日の朝に肺から水抜きをやったんだけど〜
500CC〜800CCとらないと意味がないっていってたんだけど、取れた水は150CCです。 なんで150CCかというと 肺のなかにたまってる水は、袋のようなところをつくってしまってそこの中にたまってるらしいです。その袋の中からは抜くことができないらしいです。 なので150CCです。 なので〜本人はちょっとは、楽になったかな?そうでもないかな?ってかんじで見てるのがつらいです。 なので2,3日ちょっと様子をみて尿が排泄をできない場合、順調でない場合は、最後の手段として人工透析をしたほうがよいっていわれました。 でもこの人工透析は、母親の場合耐えられないかもしれないそうです。 普通のひとは、4,6時間らしいけど母親の場合は、24時間の透析になるらしく。やってる間に血圧が下がってそのままなくなる可能性は、高いと〜先生からいわれました。 本人はいまでも見た目は元気そうだけど〜いつどうにかなってもおかしくないって本人はものすごくがんばってると思いますよと、、 とりあえず2,3日様子を見ましょうと、、、 人工透析やれば元気になる可能性もたかいけど、、その途中でなくなる可能性も高いってとってもどうしたらいいかわからないけど〜やることになったらやるしかないんだよね。 2,3日で回復できればいいのにな〜とちょっとの可能性にもいのってますよ。ではまた今日病院いってきます。 ![]() |
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2005.10.01 Sat
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昨日ジムがカルフォルニアのビールに帰っていったんだけど〜ということは、私がこちらにきて2週間ってことです。
一週間救命病棟にいて様態は、安定してきたので〜一般病棟に移しますか?それともこのまま救命にいますか?ってことで 救命にいてもこれ以上の回復はないだろうと言う先生のはなしで、、一般病棟だと一日中家族は好きなときにあえるので、一般病棟のほうがいいんじゃないですか? って ことでよくなったってわけでなく安定したって言うことと家族に好きなときに会えるってことだけで一般病棟に移りました。 ベットにつながれて点滴だけの生活ですが〜家族にあえてるほうがいいよね。 一般病棟に移ってから一週間すぎましたよ。 この前先生から話があって あんなに生死さまよってあんな状態になったのに〜なんかよくなってきてるんですよ!!万歳って両手あげて喜ぶほどでもないけど〜回復してますよって言われました。 みなさんからもいろいろコメントもらってみんなの祈りと家族の祈りが母親にとどいたかな!? 私は、10月23日までこちらにいますが〜これからももっと回復してくれることを祈ってます。 ![]() 私は、生きてる母親にもうあえないと思ったので〜持ち直した母親に会えただけでも感激でした。でもよくなってきてるってきくと病院生活長くなるかもしれないけど〜また退院してこれる日もあるかな?と期待してしまいます。本人もよくなって家に帰ってくることを楽しみにしてるしね。 人間の生命って不思議です。 |
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2005.09.19 Mon
2005.09.18 Sun
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二日前の夜サンフランシスコ時間夜12時ころに
母親の危篤の知らせをもらいました。 大慌てで、次の日の便で帰ってきて 八戸に17日の夜8時ごろつきましたよ。 そのまま病院についたのですが〜母親は持ち直してまだ危ない状態です。 でも会えました母親に〜 救命救急にこの3日間いるらしいです。 ベットにつながれた母親は、ギョロッと私の方をみましたよ。 見えてるの?? すーいまきたのが?んだら〜家さかえってゆっくり休むんだ! っていってました。 痔霧の顔もみえる? 痔霧〜 ってお母さん痔霧の事忘れてたべ? っていったら うんだって 持ち直して〜顔みれて見てもらってよかったなぁ〜って おもってます。 痔霧の顔見れて一番血圧があがってました。お母さん興奮したんですね!! 先生の話では、 心不全の末期だそうで〜体のほうがもうもつか〜ということだそうです。 延命治療もしないほうが本人のためだといってたそうです。 延命治療をしたところで本人が苦しむだけだからっていうことが理由です。 とりあえず母親はもちなおして意識もあるので〜このまま回復してくれればな〜と祈るばかりです。 |
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